2012年7月、念願だったハルピン市にある哈爾濱医科大学を訪問した。最大の目的は父の母校である“あの満州”の哈爾濱医科大学がどのようなものか、父は生前にほとんど語る事がなかった為その詳細は全くと言って?
わずかに残されていた第6期生哈爾濱医科大学の同窓会(1984年9月東京 芝 留園に於いて)の写真がその存在の証拠でしかなかった。
ハルピンを考えるに、満州国の存在とその時代の欧州諸国との中国剥奪戦は切っては切れないものだが、わずか13年間の満州国ではあるが、それには当時世界最先端の国づくりをしようという志があったことは様々な文献や残された建造物より理解はできる。黄 文雄 著の“満州国は日本の植民地ではなかった”などを読むと日本侵略の正統性が垣間見る。これ以上この問題を語っていくとなると語る知識はないのでこのぐらいとする。
あまり知られていない黒竜江省の州都であるが、いずれにしても哈爾濱は大きかった。人口は約9500万人東京都とほぼ同じ、しかし広大な土地の為か人口密度は京都ぐらいか…。比較的ゆったりしている。その中にある巨大なmedical townが哈爾濱医科大学だった…。
小さな医科大学を想像していた私にはあまりに中国のこれからの脅威を感じざるを得ないものでもあった。何せスケールが違う、一小都市全体が単科大学なのである。急速な変貌!(日本にもそういう時代はあったのであまり使いたくはないが)によって今の中国にとって巨大な高層ビルは普通であろうが25年前北京に初めて行った昔の中国?を思うにあっけにとられた。
詳細は医療内容についてはまたの機会にするが、まず第2報としてそのスケールと、活気を皆様に届けたい。
しかし、今回も現在の中国・日本間のように哈爾濱医科大学病院を案内してくれたスタッフとの壁があり、満州国哈爾濱医科大学は中国の中にはなく色々と細かい話は難しかった。昔、私の父が勉強していたことはありえず歴史の闇のなかへ…