再び現実化した救急患者のたらい回し

山田洋次監督の 「家族」 という映画のシーンを思い起こす。 1970年、 大阪で万国博覧会も開かれた高度成長の中、 筑豊炭鉱の閉鎖に伴って職を失った一家―子供3人、 夫妻、 祖父―が、 北海道開拓に夢を馳せ、 夜行列車をつないで転居する話である。 その道中、 熱を出した乳飲み子を東京の小さな宿で失う。
 当時、 救急体制など全くなく、 もちろん救命センターもなかったわけだから、夜間、近所の診療所の玄関を叩いて「どうか診て下さい」と回るシーン…。医師はなかなかつかまらず、結局、乳飲み子は亡くなる。 当時はこれが日常であったが、 母親は子供の面倒見の悪さを自ら悔いるのみである。
 


その後、 医科大学の新設、 救命センターや消防救急体制の整備によって、 映画で取り上げられたような医療事情は一時忘れ去られた。 しかし、 最近の医師不足、 医療人および病院の救命離れ、 医師=日本人の道徳感の変化などが重なり、 再び 「たらい回し」 が始まったわけである。
 医師は日中働いて夜間救急を担当し、 翌朝、 場合によっては定期の手術を執刀することになる。 いわゆる夜勤業務の 「明け」 はない。 今や身を削って献身する=いけにえになる日本人=医師が常態化しており、 昼間働いて夜に子供を風呂に入れるため当たり前になっている時間外勤務後に家に帰ることを非難することはできない。
 また、 看護師は県立学校卒業生の80%が都内に就職し、 卒後研修を終えると、 夜勤のないクリニックに移るのがパターン化していることも、 「正常」と考えざるを得ない。
 先日会った某大学病院長は、 医師派遣条件は医師を大事にしてくれる病院や自治体、 認定など資格の取れる施設である―と話していた。 つまり、 無医村、 小病院は無理ということであり、 自己犠牲に頼った医療によってギリギリ成り立っていた救急が破綻 (はたん) するのは当然である。
 このことを嘆いたところ、 ある医師から 「自分の生活が第一であり、 逆にあなたが異常だ」 と反論され、 物資も兵員もなく、 竹やりを持ってサムライ魂で米軍に勝てると錯覚した旧陸軍と同じことかと納得させられた。
 先日、 奈良で 「たらい回し」 により妊婦が死産したケースが大きく報道されたが、 これらは氷山の一角といえる。 先日、 私どもの病院でも、 2人の胸・腹部動脈瘤切迫破裂患者の受け入れ先がなく、 そのうち1人が亡くなった。 受け入れ拒否の原因は、 対応医療サイドの決定的マンパワー不足と病床不足である。
 ベッドがあり医者がいれば助かったのかも知れないが、 これを考えるのはわれわれ医療人ではなく患者である。 2011年度末までに入院ベッドを2分の1に減らす 「お上」 の政策 (入院ベッド数は病院が勝手に決めていると思われている方がほとんどだろうが、 すべて厚生労働省が決めたものである) は、 「たらい回し」 を推奨し、 日本人を早く減らす政策にほかならない。 若者にとっては 「お荷物」 を捨てる良策であるが、 若者も病人やけが人になることも忘れてはならない。
  「たらい回し」 の責任は国民一人一人にあり、 長崎原爆の被爆者であり自ら白血病となり亡くなるまで被爆者の診療をした永井隆博士が、 被爆の責任はすべて戦争を始めた自らにあると述べた如く、 行政を責めても何の解決にならないことに早く気付くべきである。 また、 医療人は 「如己愛人」 つまり、 自分の肉親を愛するが如く患者を診る姿勢を再び見詰め直す必要がある。

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