年金手帳は永久であると思っている不思議

 私は医者であり、国民皆保険制度の中で日々診療をしている。保険医療は「お上」から与えられたものではなく、国民が納めた保険料で成り立っているが、社会保険庁の極めて理不尽な要求の中で普遍的な医療を最大限に効率よく行なうことを命題とされ、われわれは、それに対しておびえるが如くお伺いを立てながら診療をしている犬以下の医者=バカ者である。
 これは、insuranceといった被保険者主権のものではなく、保険料という名の税収に他ならず、社会保険庁が呑屋の元締めであり、徴収した血と汗を有効かつガラス張りの中で使ってもらうことを、最近、特に願わずにはいられない。
 同様に国民年金問題も、大和朝廷より脈々と継承される?君が代?である「お上」=日本国に、国民が期待してのものなのだろうか。朝廷が永遠に存在することを願ってやまない愛国心なのか、あるいは無意識に漠然と日本人としてアイデンティティーのみを持っているのか。1500年間、運よく決定的な侵略を免れたことに麻痺した日本人が、知らず知らず自然に与えられた不思議ナショナリズム感の中で、国家の存在に何の疑問もなく信頼したことにほかならない。


 赤い年金手帳を後生大事にしたわれわれは、すなわちその国家に裏切られたわけであり、あの手帳は奈良時代から存在し、さらに永久に続くと錯覚しているのである。
 国家とは領土と住民を治める排他的な権力組織と統治権とを持つ政治社会。領土、人民、主権がその概念の三要素とされる。すなわち、国民が利益と安全を自らの意志で勝ち取ったものであり、国家は従属からの独立「インデペンデント」の集合体である。日本でも、わずかな国家危機によってナショナリズムは構築され、島国でほぼ単一民族のわれわれが辛うじて国家を意識しているのが現状である。
 社会保険庁へ殺到する日本人も、自らが国家の一員である責任を果たさず、愚かで怠慢であったことを自ら反省しなければならない。
 社会福祉とは、保護や支援を必要とする弱者を、援護、育成し、更生を図る社会的努力を組織的に行うこととされる。すなわち社会的弱者とは、他人事ではなく、不慮の事故や基本的には誰もが死ぬ前にはほぼ必ずやってくるものであり、老人介護などは避けられないものである。
 従って、制度化された福祉に頼らざるを得なくなった日本人の道徳感は、年金や介護保険に多大な期待を求めることになったのである。
 民間営利組織のコムスン介護事業が破綻し、大きな社会問題となったが、事業と化した福祉は利益追求なくして存続はあり得ない。決して倒産することのなかった社会保険庁にも倒産のリスクがなくてはならず、天下った官僚の退職金「2億円を越す者もいる」は当然返還するものであろう。
 国家を造るべくインディペンデンスデイを求めて、日々戦渦にさらされている中東や東欧諸国では、老後のために国家にお金を積むことは決してあり得ないことではないだろうか。あるとすれば、そのリスクを冒してでも国家を持とうとする人々の願いによるものであり、漫然と国民手帳を頼りにする世間知らずな日本人は、国旗掲揚もせず、国家も歌わず、しかし日本国に年金を積み立てている愚かな国民に他ならない。

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