医療の質の低下と経済

 私は、臨床医であるが医療法人の理事長でもある。しかし、今のご時世理事長室などという所に座って病院経営を考える余裕はあるはずもなく、一日十五時間の患者を診る労働二〜三%程度を病院経営及び管理に対して注がなければならない。
 病院経営というと、いかにも胡散臭い不動産ブローカーのような響きを感じる人は少なくないと思うが、経済なくしての医療はあり得ない訳でつまり、きれい事では人は助けられない。したがって、いかに効率の良い経営をするかが大切である。


 仕事には、その仕事に見合った報酬があり、収益と支出が明確でなければ成り立ちはあり得ない。したがって、収入が補助とか税金と言った仕事の内容を反映しない不明確な公益事業は病院においても例外ではなく、某県営の医療施設は毎年約五十億弱の赤字を出し続けており、また、とある市民病院は最近の医師不足も重なり、本年は四億円の赤字に至ることになる。
 この構図は全ての公益事業に通ずるものであるだろうが、では民間ではどうだろうか。
 昨今、公的病院運営の民間委託やPFIと言って建築業者等が自己利益の為に病院を建てて経営に参画する方針−現在つくば大附属病院の建て直しがこれにあたるが−が流行っているが、今の医療保険システムの中では民間とて厳しい状況であることは同様であり、かつてない閉塞感を感じざるを得ない。特に、地域住民が求める救急・急性期医療はもっとも難しいのが現実である。メディアでも連日のように医師不足とリンクして、地方の公立病院が閉鎖されたり、また救急診療を中止したりする報道をしている。これは都立病院にまで及んでおり、果たして先に述べた公益事業が故の経営失策だけで片付けられる問題なのだろうか。
 現在、保険医療において診察料は病院で五百七十円、診療所で七百十円であり、何故差があるのかが分からないが、一般に勤務医一人が診る患者数は二十人余であるので、一日平均が一万千四百円となる。
 質の高い医療とは、決して高価な医療機械ではなく、個々の医師の診断や治療の技術に他ならない訳で、五百七十円は妥当なものであろうか。ただより怖いものはない。つまり、安い=質の低下、人材の不足を招くのは当然である。
 私は外科医であり、主に胃癌、大腸癌、膵臓癌などと言った癌を中心に診療している。先日、胃癌の手術をした方にリンパ節転移のお話しをした。「リンパ節転移は、特に認めませんが」とお話ししたが、ある根拠で化学療法を勧めた。何故?実は病理検査は絶対ではない。近年、胃の小病変は内視鏡で切除することもあるが、根治性は疑わしく極めて曖昧な根拠に基づいた治療である。つまり、リンパ節の転移がない病巣を内視鏡で切除するのが建前であるが、このリンパ節転移に落とし穴がある。これは摘出した癌とその周囲のリンパ節を病理検査する訳であるが、リンパ節の標本を作る際に一つのリンパ節につき、一つの切片(病理検査の標本)しか作らないのが現状である。したがって、リンパ節の中の転移の無い部分を切片とした場合には転移は陰性になる。すでに二〜三切片を作ったデーターでは転移率がアップしていることは事実である。バブルの時代には、今の二、三倍の切片を作っていたが、現在の保険報酬は病理切片がこれ以上作れないということであるから怖い話しである。これが、医療の質が落ちるということである。これは氷山の一角であり、全ての分野において低下していくことである。今後の医療保険に対する意識調査では、国民は標準的な医療を望むが、保険料のアップは望まないが五十七%、負担を負って高水準を求めるが十二%、一部を自己負担で高度な医療を求めるが十五%であり、現行の医療にかなり期待しているようであるが、医療水準は今後益々低下の一途をたどるはずである。このような事を考えると経済と医療は切っても切り離せないものであり、「医は仁術」でなくなり、看護は「ナイチンゲール精神」を失い、きれい事の医療はすでに終わったと言えよう。

6 Replies to “医療の質の低下と経済”

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です